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読書の秋

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あっという間に寒くなってしまいましたが、まだ秋です。
ここのところ休日に原付で喫茶店に行く習慣ができて、本をまとめて読んだのでタイトルをメモ。
とりあえず(理由は不明ながら)今僕の中ではカフカが来ていて
『城』『変身』『アメリカ』『審判』を一気に読破。
それと村上春樹の新刊は押さえて、村上龍の長編が文庫になったのも読んだ。

ちょうど今日、アマゾンからカフカの『流刑地にて』が届いたので、これも楽しみに読む予定。



"城カフカ・コレクション (白水uブックス)" (フランツ カフカ)




"変身,掟の前で 2 (光文社古典新訳文庫 A 1-1)" (カフカ)




"審判カフカ・コレクション (白水uブックス)" (フランツ カフカ)


"アメリカ (角川文庫)" (フランツ カフカ, フランツ・カフカ)




"走ることについて語るときに僕の語ること" (村上 春樹)




"半島を出よ (1) (幻冬舎文庫 1-25)" (村上 )

特にWebに書いてあるブロガーの人とかの感想を読んでいると、かなり突っ込んだ考察をしている人が多くて、自分はそこまでできないよなあ、と思ってしまう。
でも書き起こすことで内容を整理することができる有益性があるので、やっぱり書かなくちゃなあ、と思う。
僕が本を読むときは、だいたいぼーっと読んで、あとで覚えていないことが多いので、受けた印象だけが頭の中に溜まっていってしまって、教養のプールには加えられないままこぼれてしまう場合がほとんど。
感想を書くと思うとまた読み返したり、注目した箇所をクリアにできたりするので、時間はかかるけどやる価値は大きい。

ブログは他人に宛てて書くことと、自分に宛てて書くことの境がない。
というか、それは自分で作るしかない。
だから、区別をしようと思わなければ、区別をする必要もなくなる。
誰かに読ませるためではなくて、ほとんど自分のためだけに書く書評。
でも誰かに読まれることをどこかで意識している。
そんな二律背反性を抱えながら、駄文をまき散らしております。
使い道のない、メモランダムの一種だと思って、読み流していただけるとありがたいです。

Web2.0が理解できない、Webアプリは流行らない、と断言しているのは、まあわかる話。
でもWebアプリ+携帯電話はイケるんじゃないかと言う根拠はどうなの。
いや、僕もその方向性はイケると思ってるから、もう少し展望的なものがが欲しいというか。
携帯電話は常時身に付けるもの、という理由と、ネットワークに常時つながっているもの、という理由以外にも、もう少し何か欲しかった。
特に技術屋以外(つまり梅田望夫さんのこと)がWebを語ることを批判してるならなおさら。
携帯電話とかネットワーク自体の進化についても、もう少しページを割いてくれるとよかったと思います。

ひろゆきと佐々木俊尚というひとの対談で、佐々木さんが
「今のインターネット上は、戦前の新聞と同じで、ある種の集合地でもありつつ、集合愚でもあるわけです。」
なるほど。

結局、梅田本とひろゆき本はどちらも両極端だと言われているけど、現時点で誰も論破できない点では同一で、それは双方が担保することを前提にして検証不可能な議論を展開するからだと思う。
梅田さんは未来を担保してオプティミスティックな理論を構築する。
ひろゆきは未来を担保してその逆をする。

結論は、両方読んどけ、ということかもしれませんね。
いろいろ入って、消化不良のもやもやを抱えたまま発展していく。
それがWebなのかなあ、とも思う。


"2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書 14)" (西村 博之)

この夏の課題図書

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ジェフ・ラスキンの「ヒューメイン・インターフェイス」を買ってきたので、適当に時間を見つけて読もうと思います。


"ヒューメイン・インタフェース人に優しいシステムへの新たな指針" (ジェフ ラスキン)

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